画像 加悦鉄道広場。 [痛旅。]
2007年5月2日の記事です。
餘部訪れたあと、矢田川温泉に入り豊岡辺りで車中泊し、翌朝。国道178号を走り久美浜駅。
更に国道178→312→178号を走り、気付いたら天橋立近くで撮影。
タンゴディスカバリーの特急が撮影してましたです。
天橋立を訪れたか記憶ないのですが、引き返して、与謝野から国道176号へ。
遠目から気になったので、立ち寄ってみた。
入り口に展示してある車両が食堂車として使われていました。
キハ08
キハ10の運転台はかなりの腐食が進んでいました。
資料館?
木造三等車。
ハフ3。
加悦鉄道2号機関車。
C58390
模型火室投炭練習。福知山機関区で使われたものです。
踏切とSL形式図。
C57189
転車台。
キハユニ51
地元を走っていた車両のせいか、この車両は特に撮影してましたです。
ハ10形付随客車。
DC350形内燃機関車。
ハ20形付随客車。
当時は機関車撮らずにロゴだけ撮ってました。
ラッセル車と車内。車内から見る風景が楽しかったです。
加悦鉄道広場を離れ、
旧加悦鉄道加悦駅舎。
駅舎を後にする。
全但バス子午線前バス停。
翌日、玄武洞駅に立ち寄る。
画像 餘部橋梁 [痛旅。]
2007年5月1日の記事です。
山陰の方をドライブしていて、鳥取から国道179号を海岸の崖沿いを走り、餘部橋梁へ。京都、与謝野町付近まで走りにいった記録です。
福部でみたキハ33。
岩美駅と日交こと日本交通バス。
岩美駅に設置された新型の券売機。
浜坂駅。寝台券の表記が残っていた頃。
餘部橋梁。
鎧駅に立ち寄り、浜坂駅で購入してた弁当で昼飯。
携帯(V903SH)での撮影。
鎧駅から戻った時。
時系列に言えば、浜坂に戻ってから再び餘部橋梁へ行ってた。
通過する列車をしたから撮影。
餘部駅から。
香住駅。反転フラップ式(パタパタ式)時刻表が残っていた頃。二日目、加悦鉄道広場へ続く。
画像 江の川沿いにて。 [痛旅。]
ある日の赤バス。 [痛旅。]
2009年8月26日の記事です。
転属してきたバスですが、白いヘッドが目立ちます。
平和記念公園にはJR バスが待機しておりました。
吉島に移動し、石見交通の尻を。
赤バスの車庫には5Eが走っていた時代。
尻を追いかけ回してた若き自分。
画像 杉並台車庫と旧加計、安野駅前。 [痛旅。]
2007年10月4日の記事です。
かつての杉並台車庫。湯来線に統合され使われなくなって数年程度の撮影。車庫には広電の子会社が売り地として出していました。
自分が通学利用していた頃は、湯来線
、杉並台線とも40分ヘッドでバスセンター
から出ておりました。今となっては信じられないでしょうが、2号宮島街道を湯来、杉並台、藤ノ木、彩が丘、薬師ヶ丘、津田、吉和、それに四季が丘と原川末が走っており、ひっきりなしに見てたのを思いだしますね。
、杉並台線とも40分ヘッドでバスセンター
から出ておりました。今となっては信じられないでしょうが、2号宮島街道を湯来、杉並台、藤ノ木、彩が丘、薬師ヶ丘、津田、吉和、それに四季が丘と原川末が走っており、ひっきりなしに見てたのを思いだしますね。
朝のラッシュ時には楽々園から市内方面は交通麻痺を起こしていて、減便につながったのだと想像します。利用客の減少もありますが。
場所は変わり、加計駅前。ぶった切れたホームのみ残る広場。
程原の沈下橋。
渡ったのは良いが、柵がしてあり引き返した思い出が。
程原バス停。可部線廃止され4年、旧駅
前のバス停しか止まらない快速便も設定されていました。
前のバス停しか止まらない快速便も設定されていました。
旧安野駅。かつては猫の駅員としてバスカードの図柄にも採用されました。
宇賀峡の案内板。
以上です。
アーカイブ 矢神駅の御衣黄(ギョイコウ)と東城町のヤマザクラ [痛旅。]
2006年5月1日の記事です。
過去の画像データを整理中に出てきたんで、掲載します。
野馳駅を訪問。構内を散策する。
待合所にある掛け時計。
移動し矢神駅へ向かう。
当時は、駅前の商店にて近距離乗車軟券を販売しておりました。
また、スタンプ台のみ残っておりました。
軟券と建物資産標。
構内の散策。ホームは千鳥配置になっております。
新見方面のホーム端でひっそりと咲いている桜の木。
説明板にも書いてあるとおり、薄黄色に咲く珍しい桜の木です。遅咲きでして、来訪時には1-2輪ほど咲いていました。
桜の木から眺める新見方面の駅構内。
周りでは田圃に水をはり、田植えの準備をしてました。
最後に遠望から撮影し、現地を後にする。
県道に戻り、小奴可駅近くの商店にて弁当を購入し、昼めし。要害桜へ向かう。
樹種はエドヒガン。別尺のヤマザクラに勝るとも劣らない枝振りのヤマザクラです。
付近にはツクシとフキノトウが顔を出していました。
水田に映える桜。個人的に好きな一枚です。
ひととおり終えて、備後落合駅へ。
駅ノートに書き込み。
駅を離れ、国道314号を走り出雲坂根駅へ。
駅前の桜はほころびはじめており、旧駅舎の待合室には奥出雲おろち号の記念オレンジカードの宣伝が張り出されていました。
駅と国道の奥出雲おろちループ。
駅前の踏切にて到着する列車。
駅から木次方面へ出発する列車。
延命水を汲んで戻りました。
撮影した夜桜。場所不明。東城町内で車中泊。
5月2日。
翌朝の別尺ヤマザクラ。
日が上り県道57号、東城西城線へ。
峠から見下ろす西城町内の町並み。
町境。市町村の広域合併によりすでに庄原市でした。
里山の風景。緑が目に染みます。
以上、山の風景でした。
18切符の初旅行。 [痛旅。]
2005年8月28日の記事です。
これ以前にも18切符にて旅はしてましたが(下関ふくフク号とか萩津和野号とか)携帯での撮影だったりで、デジカメ購入して旅に出たのが、これが初ということです。
地元駅より福山乗り換えで福塩線にて神辺へ。乗り換えで井原鉄道へ。
清音駅より伯備線へ乗り換え新見駅へ。更に米子行きへ。
根雨で特急に乗り換え米子駅へ。
米子で乗り換え宍道にて木次線へ乗り換え。
盛夏の田を眺めながら木次駅へ到着。
奥出雲おろち号へ乗り換える。
車内は客車となってます。
初秋の田圃を眺めながら列車は山を登ってゆく。
出雲坂根駅に到着。
ここから進行方向が逆になります。
そういや、駅舎が改装前か。
出雲坂根出発し、スイッチバックへ。
油木駅通過し、終点の備後落合駅へ。
駅の線路奥には草に埋もれた転車台がありました。
キハ120にて三次駅まで向かいます。
備北交通三次バスセンターへ。当時のバスカード自販機を撮影してた。
最終の広島バスセンター行きにて戻りました。
画像 内海大橋と鞆の浦探訪。 [痛旅。]
2006年9月17日の記事です。
行程割愛します。
この頃は、自分用にPC用の壁紙作ってたっけw
場所移って、鞆の浦探訪。
かつての鞆鉄道バスが鉄道営業していた頃、この車庫が鉄道駅の終点であり車庫でした。電柱、ガソスタに名前が残っております。
このガソスタは現在でも営業しております。