県北ローカル路線バスつれづれ。+西条ー呉ー熊野ー広島 [痛旅。]
2009年1月20日の記録です。
広島バスセンターより吉田行きに乗車し、終点付近より。
ブルリのツーステ車も数が少なくなってきました。
終点の吉田営業所に到着。ここは、備北交通の吉田営業所も兼ねてます。
発車まで少し時間があるので、安芸高田市役所へ。
車庫へ戻ると、先程乗っていたバスが休んでいました。
三次行きの備北が来た。えらく新しいのがやってきた。
三次駅にて下車。次便を待つ。
この三次駅のバス停も、よく見ると様々な行先があります。
このうち、今でも走っている行先が何個あるのか。
時刻表を撮影してると、備北交通の伊賀和志行きが。
芸陽に備北交通。
バス停のポール。
リエッセにて敷名へ向かう。
運賃表は広電バスからの払い下げと思われる。
式名に到着。
現在は備北交通の路線ですが、当時は(廃止間近ですが)芸陽バスとの競合路線でした。
さて、今度は備北交通の路線で三次駅へ戻る。
終点の三次中学校にて下車。
三次中学校バス停。
付近には芸陽バスが待機しておりました。
三次から先、高野町方面の案内。
広島方面のバス停には甲山などの行先がありました。
芸陽の回転場より少し離れた場所に備北交通の回転場がありました。
備北交通の回転場を回っていく回送のバスが。里バスやまの号ってなに?
備北交通とは違う独自カラーなんで、専用の車両なんだろうなぁと。
芸陽のバス停。
奥田元宋(三次ワイナリー)行きのリエッセと敷名行きのレインボーがおりました。
木製床のバスって、温かみがあって良いよねー。
側面の行先表示。今は無き路線がこんもりと。
芸陽バスで見かけるキャラクター。
敷名に到着。県道側のバス停に芸陽の時刻表が。
西条行きが来た。
途中の豊栄営業所。
西条駅到着。ターミナルがリニューアルされてました。
JRバスと芸陽バスの拠点です。
西条駅。建屋も駅前を道路拡幅工事し、一帯で整備されました。
西条駅より呉駅行きに乗車し南下します。
呉に到着したときにはすっかり夜になって
ました。
ました。
呉駅から呉市交通局の古参車両がやってきた。熊野団地行きです。
車内は観光バスのように番号が割り振られていました。
見づらいですが、座席背面には灰皿が取り付けたままになってました。
熊野団地からのラストランは広電のバスセンター行きにて終点まで。今回も長い一日が終わりました。
中国バス三昧。 [痛旅。]
2009年3月25日の記録です。
今回は尾道駅からのスタートです。
中国バスの教習車が待機してたり、おのみちバスが居たりと見ていて飽きません。
広交観光のしまなみライナーが通過して行った。
甲山行きのバスに乗り終点まで。
乗ってきたバスがこちら。
甲山営業所に掲げてある時刻表ですが、各路線とも本数が少なくなってます。現在では廃止された路線も掲載されておりますが。
左側にいる三次行きに乗車。
なかなか面白い車両が居たりする。
さて、今回は広島県地図を持参し、路線バスに乗り込んでいる。国道の旧道部分とか、普段気にしない分岐を曲がったりしてくれるので、道路ファンには面白いです。
三良坂小学校前で下車し、乗り換えバス停に移動する。
と、いっても三良坂駅前なんで移動はすぐですが。
現在時刻13:30。田総の里経由土居行きの発車まで、近所を「うささんぽ」
備北交通名物ポール式バス停。
駅に設置してある町内案内板。
三次行きの列車が到着。
バス停と三良坂駅。建物は公共施設兼用しております。
さて、そうこうしてるとリエッセがやってきた。
三良坂町内の古い路地を拔けて行くと、
灰塚ダムの完成で路線つけかえた立派な道を颯爽と駆け抜けてゆく。
ダム護岸に造成された団地のぞみが丘を抜け、旧総領町市街地、田総(たぶさ)車庫にて下車する。
この地域で数少ないスーパー(でもヤマザキショップ)総領スーパーにて飲料と食料を確保し、次のバスを待つ。
ここは庄原駅と上下へ向かう路線、それに三良坂へ向かう路線が集まる拠点だったのですが、山村集落の少子高齢化には勝てず、減便され、かつての栄花は、この立派な車庫だけになってしまいました。
車庫前の交差点。右下方向が庄原市街地です。
さて、バスが来たので乗りますか。
県地図見ながら乗ってるので、どこ走るのか愉しみで仕方なかったのだが、この太郎丸経由というのは山間の辺鄙な地区を縫うて走っていくバスですがリエッセとはいえ、こんな隘路を速度落とさずにカーブを曲がっていく運転は、勝手知ったるなんとやら。
峠を超えると1.5車線の道が続き、やがて2車線の道で上下まで進みます。
上下に到着。駅構内をうろついてみる。
さて、駅前に中国バスの上下営業所があるのです。
上下は運行の要だけあって、便数も運行系統も多いです。まぁ、この地域での話ですが
。
。
営業所に掲げていた運賃表と料金案内。
上下駅前発車のリエッセが
上下駅前発駐在所経由世羅中央病院行き。この路線も、今月末で廃止となります。
山間の過疎地域をゆっくりと走ってゆく。
狭隘路を抜け、甲山営業所に到着する。
甲山バイパスに掲載されていた内容。世羅西町の中心部、小国までの路線が廃止される内容でした。
河内駅行きのバスに乗車し終点まで。
走る間に日が暮れて、到着したら夜になってました。
河内駅からは山陽本線にて帰宅し、本日の行程終了です。
松山さんぽ。 [痛旅。]
···タイトルほど動いておりませんが。
2009年12月2日(後半)の記録です。
呉港に到着し、窓口のpaspyマークを見て「そうだ、松山行こう。」と思い立ち、気付いたら切符購入してましたw
先に広島行きの高速艇が発着してました。
瀬戸内海汽船の四万十川に乗船し四国へ。
出港し、呉港の工業地帯をぬける。
まだ第2音戸大橋の造成段階でした。
音戸大橋が見えてきたと思ったら、あっという間に潜り抜け、進路を左に向けて瀬戸内海への海原へ。
しばしの別れ。因みに橋の右側には2007年に閉館した音戸ロッヂがありました。
乗船前に購入した呉名物のメロンパンを喰いながら海原を進む。
松山観光港へ到着し、連絡バスに乗り伊予鉄高浜駅へ。
高浜駅改札口と駅名標
電車に乗ろうとしたら、転属車両の3000系が待機してました。
車両側面には購入元の京王電鉄の文字が。
松山市駅で乗り換えて、路面電車にて道後温泉駅へ向かう。
伊予鉄のカードリーダーは地方鉄道でよく見るICリーダー一体型のタイプでした。
リトルダンサー(超底床電車)を見送って道後に到着。
ひとっ風呂浴びた後、メシ喰いに行く。
此処にはある名物料理がありまして。
とんかつパフェ。
脂っこいイメージでしたが、食すとリンゴなどの果物ととんかつが絶妙であっさりと完食致しました。
このお店は、ごく普通のとんかつ料理店であり、普通に定食は美味でした。ごちそうさまでした。
松山市駅の伊予鉄高島屋屋上に設置してある観覧車「くるりん」乗り込み、夜景を。
松山観光港へ戻ると、夜行便の大型船が積み込み作業をしておりました。
観光港の桟橋への入場は有料でして、券売機が設置されていました。
宇品からの最終接続に間に合うのが高速艇なんですが、価格がわりと貧乏人には高嶺の華でして。
指定席料金500円でスーパーシートに乗れるので、行っちゃいましたw
まぁ、もう乗れないだろうなぁと思い乗船しましたが、流石は海の新幹線。まぁ速いのなんの。
フェリーが約2時間半かかるのに対して、スーパージェットが呉港経由しても約半分の75分。価格差は致し方ないかな。
ラストは広電にて帰宅。
長い一日はこうして終了したのでした。
因みに呉港にれpaspy払い、松山観光港にてICいーカード払いにて乗船券を購入したかっただけで松山に行ったとかないとか。終わり。
江田島バス紀行 [痛旅。]
2009年12月02日の記録(前半)です。
おはようございます。今回は呉ポートピア駅前からスタートします。現在07:30です。
何故にこんなところにいるのかというと、現地よりフェリーにて対岸の江田島切串港に行って、島のバスを記録にと思って。
この当時、呉市交通局は存続していましたが、江田島島内を走る江能線は2008年に廃止され、江田島バスに移管したという経緯があります。1年経ったこの日、どうなったかを見に行ってみようというのが趣旨です。
夜明け前の島の風景と港。
最寄りバス停である天応福浦·天応桟橋。
此処にはかつて、駅名にもなっている呉ポートピアランドという遊園地があったのですが、閉園してしまいました。遊具などは解体売却され、跡地は呉ポートピアパークという市民公園として当時の雰囲気を残したまま開園という経緯があります。
此処から眺める対岸の風景は奇麗です。
フェリーが到着したので乗り込みます。
切串港に到着し、宇品(広島港)側の乗り場まで歩く。
国道487号と県道297号の分かれに到着。こちらの方が天応行きの乗り場と比べ設備は立派です。
宇品行きには乗りませんが、接岸中だったので。
このバス停から乗車します。
この地図でいえば下部のフキコシ桟橋から現在地まで歩いてきました。約10分くらいです。
運賃設定路線図。公営事業っぽい、自分には有り難いものです。
小用方面に向かいますが、呉市営時代と比べて格段に減便されました。(現在調べたら、切串含む大須〜切串〜小用方面はオレンジバスという予約制デマンド運行になっておりました。)
せっかくなんで、切串港を撮影。
島の画像右端のノッポビル辺りが宇品です。
さてようやく本題へ。ブルーリボンに乗って向かいます。
小用へ到着すると、メインの発着地だけあって。本数設備ともに立派です。
エアロミディが発車を待っていました。
津久茂行きに中町行きと、島の中心部へ向かうバスです。
撮影していたら、切串から乗ってきたバスが、深江行きとなって再び発車待ちになってました。キミに決めた(何
国道(幸ノ浦)方面に右折すると津久茂です。
山田で下車。ここは、呉市交通局の頃の車庫があった場所で江能線の拠点でした。
呉市交通局時代の香りを残す、なかなか趣のある建物です。窓口横に立つ「マイカーはしばらく休んで今日もバス」って標語が泣ける。
営業所の入口には江能線のご利用に感謝と廃止後、江田島バスが引き継ぐ旨が書かれておりました。
山田で折り返して小用へ戻る。
小用より高速艇に乗り呉港へ向かう。
後半【松山さんぽ。】へ続く。呉港から何故か松山へ行き道後の湯へ入った後とんかつパフェを喰いに行ったお散歩ですんで。
四国うろうろ(後編)。 [うささんぽ]
2009年8月5日
新居浜市内の宿で一夜を明かし、再び多度津駅より列車に乗り津島ノ宮駅へ。
つしま橋を渡り、津嶋神社本殿へ。
島より対岸の四国を望む。
子供の守り神だけあって、親子連れが多いです。
津島ノ宮駅へ向かうと昨日と同じく係員が出向いて列車の乗降車補助をしておりました。
多度津駅へ戻り、高速に乗り高知へ向かう。
土佐電鉄ごめん駅へ。
こういうものを利用販売始めたという情報を聞いて伺ったのですがね。
方向幕がLED化しておりました。
リーダーはJREM製っぽいです。
リニューアルしたJR高知駅の土佐電乗り場。
バリアフリー化され、乗りやすく便利になりました。
JR高知駅の方へ。
四国発の自動改札機が導入され、券売機も磁気券対応の新型が導入されました。
プラットホームへ。
駅隣接のバス乗り場には高知空港行きの券売機が設置されてましたが、土佐電ドリームサービスのみ券売機が別に設置されてました。
この後、高知ぽかぽか温泉で風呂入って、イオン高知でメシ買って車内で食って、R33 →R194経由にて寒風山トンネル抜け、今治で車中泊し、3日目。
2009年8月6日
西瀬戸自動車道(しまなみ海道)来島海峡SAにて休憩時に。
橋と島との風景が見渡せる場所です。
運転を代わってもらい、来島海峡大橋を正面から。
広島県に入り、瀬戸田PAにて休憩。
今治方面には中国バスが発車してました。
大浜PAに移動し、先に今治方面のバス停を撮影。
尾道行きのエルガが到着しました。
行程2日間の戦利品。終わり。
四国うろうろ(前編)。 [うささんぽ]
2009年8月4日−6日の記録です。
さて、今回は車での移動です。世間ではいわゆる1000円高速をしていた頃でして、なんとかしてETC車載器とカードを作って何処か遠くに行こうと画策していた時代でした。
行程として、国道31号→国道185号と走り仁方より安芸灘大橋へ抜け、県道74号下蒲刈川尻線から蒲刈大橋へ、県道287号上蒲刈島循環線、県道356号豊島大橋を経由し県道354号へ、豊浜大橋を経由し県道355号大崎下島循環線へ、安芸灘とびしま海道を抜け愛媛県岡村島へ。県道177号大下白潟線と走り関前村の岡村港へ居る。(要は裏しまなみ海道)
高速が混雑しているので、行きはフェリーで行こうと色々と計画していたら、このルートを思いついて来てみた。
遠くに来島海峡大橋が見えてきた。
あっという間に近づき
真下をくぐる。そして今治港へ到着。
今治から高速に乗り多度津へ向かう。
はい、多度津駅到着。
とまぁホームで色々と写してみた。
今回の目的はこちら。
知る人ぞ知る臨時駅ですけど、年に2日しか営業しない駅です。
そうこうしているうちに乗る列車が来た。
津島ノ宮駅到着。
駅舎。昔ながらの赴きある駅舎です。まだすまいるえきちゃん。の前でした。
駅には時刻表も掲げてありました。
カーブの途中にホームがあるので、列車が到着するとホームとの間に隙間と高低差が生じ乗り降りに係員が出向いていました。
そんなわけで、多喜浜駅に立ち寄った後多度津駅へ。
再び高速で移動し、徳島県鳴門市へ。
こちらも知る人ぞ知る乗り物なんですがね。
頂上に到着。思ったより勾配があるので、登るという感覚です。乗車運賃は無料です。
淡路鳴門道だけあって、高速バスがひっきりなしに通過してました。
後編へ続く。
御庄駅にて。 [痛旅。]
2006年4月26日の記録です。
岩国駅より新岩国駅までバス移動。
新岩国駅に到着し、旧岩日線である錦川鉄道の御庄駅へは徒歩10分程度かかります。
現在は清流新岩国駅と名称が変わりましたが、この辺りの案内看板も撤去されたのか現存なのか分かりません。
よく見ると、錦川清流線の文字が書き換えた跡があるので、かつては岩日線と記載されていたものと思われます。
到着。岩徳線方向を見る。桜が咲き始めの頃でして、数日すれば花見が出来る時候でした。
レール撤去された上り線から錦町方面を見やる。
こちらは現役の下り線ホーム。此処だけみたら凄く都会的な風景に見えます。
花見をするのには最適な駅じゃないかしら。
列車がやってきた。
この車両も、新型車に置き換わり廃車となってしまいました。
屋代島訪問記。 [痛旅。]
2009年7月28日の記事です。
周防大島こと屋代島に車で走った記録です。
旧橘町にあった安下庄(あげのしょう)駅。現在は他社の事務所として使われております。
駅の向かいにあるお店には駅前の文字が。
県道を進むと大地浦バス停が。
傷みが激しいですが、当路線の白木線がかろうじて読み取れます。
更に進み、362号白木漁港佐連線に曲がり沖家室大橋を渡る。沖家室島終点の本浦バス停。
高齢化率が最高水準の島。島内の人口は150人以下。典型的な過疎高齢化の島です。
島から望む屋代島方向の風景。天気がすぐれませんが、眺めは素晴らしいです。
郵便局にて記念入金を済ませ、橋へ戻りつつ撮影。沖家室バス停と沖家室大橋架橋を願うホーロー看板。橋の開通が昭和58年なので、それ以前からの設置と思われます。
州崎バス停。伊保田港へ向かいます。
こちらの伊保田港から柳井港三津浜港へそれぞれ行くことができます。
港から県道351号、油田港線の入り口にある規制標識。道幅1.7mってそうそうない。流石に進む勇気はありませんでしたが、バイクで走ってみたい風景です。
県道60号線橘東和線から港側を撮影。右折が県道351号です。
終点の周防油宇。此処にはバス待機場所と待合所が設置しておりました。
直進すると次第に登ってゆき、隧道へ辿り着く。
隧道の上部には左書きで「油田洞道」と記載があり、戦時中の開通であり軍事のために開削したと思われます。この洞道(とうどう)というのは、「通信ケーブル・ガス管・送電線などの専用管路トンネルのうち、特に敷設・撤去・保守作業用に人が立ち入れる管径のものを指す。」とwikiに記載されてますので
、元々は人道用トンネルのくらいの大きさを拡張したのでしょうか。
さて、此処で引き返し伊保田港から国道437号を戻っていき周防下田駅に到着。
国鉄バス時代の建屋が健在でした。内部は鉄道らしくバス+鉄道運賃表記で各主要駅の運賃表が残されていました。
バス停。
駅の敷地内には国鉄バス時代の案内が残されてました。
大島大橋を渡り、帰路につきました。